練習日誌 2002年
団員による、ステージや練習の体験記です。
ご意見ご感想、共感できた文などありましたら遠慮なく掲示板へどうぞ。


・2002年12月 近藤陽子(Pf)

「合同演奏、水のいのちを終えて」

 今回、関屋先生の指揮で岡谷合唱団との合同演奏の伴奏をさせて頂いたことは私にとって本当に貴重な体験でした。
 コルス・フローレスはいつも色々な団体、人たちと共演してきましたが、このように積極的な姿勢と行動力を持っているというのは、素晴らしいことだと思います。
 いつもその恩恵を受けさせていただいて、感謝しています。

 ジョイントの曲目が「水のいのち」に決まった時、実は私の中では、まだこの曲の本質的なものが良く見えていなくて「困ったな、難しいな。」という気持ちもありました。

 関屋先生の夏合宿で、私は随分厳しくご指導いただきましたが、妥協せず、本当にわかるまで丁寧に教えてくださったと思います。
 私の勉強、力不足で事前にそのレベルまで達していなかったことは、皆さんに申し訳ありませんでした。
 関屋先生のレッスンを受けて感じたことのひとつに、この曲が作られたのはほんの少し昔のことで、中に出てくる風景は今よりもっと素朴な情景なのだということでした。
 「水たまり」の前奏の部分が、馬車か何かの車輪が回転しているように、とご指導いただいたことがとても印象的で、ワダチのくぼみにできた水溜りの情景がはっきりしました。

 その後練習を続ける中で、織田先生のおっしゃること、団員さんの歌声からまた自分自身の体験を通して曲のイメージがより鮮明になり演奏に充実感を持てるようになってきました。

 演奏会当日、今まで岡谷合唱団とコルス・フローレスで作ってきた音楽とのすり合わせには、それほど不安を感じていなかったのですが、夏合宿以来ということで関屋先生に合わせられるかが気がかりでした。

 そして本番にて、まず関屋先生のテンションの高さに驚かされ、でも指揮台に立たれてニコっとされた瞬間に、不安な気持ちは吹き飛びました。
 ものすごい集中力と迫力、それぞれの曲が終わっても、その余韻にまで強く気持ちをこめられていたことに感動しながら演奏しました。
 少ししか一緒に練習していないとは思えないほどの一体感を、大きな合唱団に感じました。

 後日、録音を聴いてみると私自身に関しては、関屋先生のものすごく大きなスケールについていこうとしていても、体に力が入って音がつぶれてしまっていたり悔しい部分はありました。
 これからの私の重要な課題の一つのして、受けとめています。

 最後に、打ち上げの時の関屋先生のお言葉で、「この演奏を高田先生に聴いて頂いていたら、どうおっしゃったかな。(きっと満足して頂けるのではないか。)」というようなことを言って頂いたことが本当に嬉しく、今でも心に残っています。

関連項目:演奏会の記録(岡谷合唱団&コルス・フローレス「姉妹都市を結ぶコンサート」


・2002年10月 dazu(Bass)

 はじまりは、一通のメールからでした。

 コルス・フローレスのHPを立ち上げたのが、2年前の00年8月。
 その2ヶ月後の10月に「川岸女声コーラス」さんからメールが届きました。
 見ると「川岸女声コーラス」さんも先日HPを立ち上げたばかりとのこと、早速相互リンクを結びました。

 「川岸女声コーラス」が拠点にしている岡谷市と、「コルス・フローレス」が拠点としている富岡市が、姉妹都市提携を結んでいることを知ったのは、実はその後のこと(!)。
 二十日もたった頃、メールのやりとりの中で教えていただきました。

 平行して掲示板の準備を進め、導入したのが12月18日。Web上の会話とやらを喜んで始める我々。
 川岸女声の方々が訪れていただいた際に出たのが、「姉妹都市同士、いつか一緒に歌いたい」との声。
 素敵な話ではあるものの、正直そうはいっても、そうそう実現はしないだろうなと思っていました。

 が、それに賛同してくださったのが、「川岸女声コーラス」と懇意にある「岡谷合唱団」の団内指揮者を務める佐原先生でした。
 クリスマスから正月にかけて会話が交わされ、盛り上がっていく企画。具体的な話がこんなにすぐに始まるなどとは思っていなかっただけに驚きでした。

 この時点で、コルスと同じ混声合唱団であり、他団とのジョイント経験もあるという「岡谷合唱団」とのジョイントが見えてきました。
 「川岸女声コーラス」さんにとっては、今回は遠慮して応援に廻るという格好になってしまいましたが、快諾頂きました。

 でも実際の運営を考えると不安がいっぱい。
 団内に「こういう企画がある」と紹介してみたものの、誰もはっきりした意見は言えず。
 「是非やりたい」けど「2001年の間は無理」、でも「2002年になれば可能かも…」ということだけでした。

 次のステップは演奏会に伺うこと。
 01年5月12日の我々の「第9回定演」に川岸女声のHP管理人さんが訪れてくださり、その2週間後の岡谷合唱団の「第46回定演」に私を含む3名で伺わせていただきました。

 ここで初めて対面。
 我々が岡谷市カノラホールまで聴きに行った岡谷合唱団の演奏会は、その演奏に感嘆させられたほか、ホールの良さとその中で企画されている催し物の充実に高い文化の香りを感じさせられました。
 ぜひ岡谷市の豊かな文化と交流できたらと感じさせられたことでした。

 その年の夏に打ち合わせをし、ついにジョイントコンサートを行うことが決定!こんなに早く決まってしまうとは、重ね重ね驚きでありました。

 以降コンサートに向けて少しずつ準備を重ね、「第10回定演」が終わったと同時に本格的スタート!
 今年の夏には合同合宿で素晴らしい交流と練習の時が持てました。

 現在は、合同合宿で得た感覚と課題を保ちながら、それぞれの団で練習を重ねている状態だと思います。
 各団それぞれのステージ、合同ステージ、どれもきっと素晴らしい経験になるはず。
 今から楽しみで仕方ありません。

関連項目:演奏会の記録(岡谷合唱団&コルス・フローレス「姉妹都市を結ぶコンサート」


特別号 2002年夏 岡谷合唱団&コルス・フローレス 合同合宿


・2002年7月 浅川啓子(元) 

 10周年の定期演奏会おめでとうございます。
 古い仲間と聴かせて頂きました。
 皆さんの歌っている様子から「継続は力なり」こんな言葉が思われる程、ゆるぎない合唱団に成ったことに感慨深い想いがしました。

 さて、私が書く役割は初期のエピソードでしょうか。

 振り返れば、織田先生の“この指とまれ ”に、とまったとまったたくさんの高校生、お姉さんやおばさん達が‥‥
 交流のため、ずいぶん幼稚園のホールでクリスマスや忘年会を繰り広げたものです。
 何かを作ろうという喜びのためか、どんな場面でも一人一人が信頼しあい、役割を一生懸命こなしていたように思います。

 山田さん、中川さん、吉田さん、佐藤さん、下山さん、数え上げたら書ききれない程、私にとって支え合った大切な仲間でした。
 山田洋子さんとは今も親友として一生涯続いていくでしょう。

 エピソードにしましょうか。

*初めて横浜でのコンクールに出たとき、
 山田さんが値切りに値切った貸し切りバスで乗り付けたものの、嬉しいやら困ったやら。
 なにせドレスも無く、高校生は制服に生足にドタ靴で。大人は紺色の自前で作ったスカートにとりあえず白いブラウスでしたよ。
 他の団体は美しいドレスを着込んでいるでしょ、「今に、風と共に去りぬのスカーレットのように成ってやるから」と内心思いつつ本気で歌いました。
 服はみじめでも心は洋々として楽しかったですよ。

 結果を知るため織田先生、山田さん、佐藤さんと後発の電車で帰ったけれど、着く間中、織田先生が音楽に対する情熱を語り続けるのですが、なんせ疲れているもんで、生あくびをかみ殺して、ゆらゆら聞いていたような気がします。
 でも、あの目を輝かせていた顔だけは今でも思い出せます。
 そうそう、佐藤さんは衣装担当としてデヴューをし、今の華麗な数々のドレスが生まれたんですよ。

*初めて菅野先生の指揮法講習会を東高の音楽室で聞いたとき、
 緊張あり、おもしろくもありで。
 つるの様な方でしょ。ちょこん、きょとんと振りながら、「やわらかい毛をしたうさぎの気持ちになってー ハイ!鳥に成って」と言いつつ、熱してくると、振っているシャープペンをはじき飛ばしたり、履いているスリッパをパコーンとあっちの方にすべり飛ばしてもお構いなしで、おかしいけれど真剣なので笑えない。

 でも、不思議と他の先生方が振るより、音が心の中にぴったりと入り歌えるんですねー。すごい先生だと思いました。
 今も続いて御健在なのでしょう、あの優しい“つる先生”。

*もう一つ、
 印象深いのは大雪の日の定演でした。
 足がすっぽり入ってしまう程深い雪にもかかわらず、たくさんの人達が温かい心をかかえて聞きに来て下さった。
 加世田先生の素晴らしい伴奏と、天に召された岡田富子さんの笑顔、そして森村先生が独奏したサックスの深い音色が、心象と共に聞こえるようです。

 その他にも女声合唱時代最後の定演で“紅花抄”を歌ったときのことや、ぬか喜びをしてカラオケで軍資金を使ってしまったり…、未だ未だ逸話がいっぱいあるんですよ。

 10年の間に加世田先生やたくさんの仲間達が去りましたが、また新しい人達が加わり、混声合唱団として出発をし、ステキなコルス・フローレスとして咲き続けていくでしょう。

 最後に10年ひとくくり、また原点に戻って、是非コンクールで叶わなかった金賞に挑戦してほしいと思います。
 これは当たらないことかも知れませんが、技術が向上すればする程、感動が届きにくく成る様な気がします。
 お互いに信頼し合い手を結びあって、より高く美しく歌い続けて下さいますように。  


・2002年6月 祥子ママ(Sop)

「初舞台を終えて」

 永年勤続の会社を退職し、「青春よ、今一度!」と思い、友人の紹介もありコルス・フローレスに入団。
 娘まで一緒に入団してしまいました。共に歌える楽しさを、幸せに思います。

 いよいよ「コルス・フローレス」第10回定期演奏会当日。
<ゲネプロ開始> 
 ホールいっぱいに最初の歌声が響き渡る。よ〜く響きますねぇ〜。嬉しいっ!!

<いざ本番> 
 し〜んと静まり返った満席の「かぶら文化ホール」。ピーンと張り詰めた空気。ドッ・・ドッ・・ドッ・・・私の心臓は早鐘のように鳴り響いている。呼吸が苦しい。さあ、始まるヨ〜!!
 レスター先生の静かな指揮が始まった。私の声も歌となり、流れ出した。
 「Ave verum corpus」、そして「Dixit」。歌の清流にどんどんと引き込まれ、やがてソリストの歌声を聴いている自分が居た。
 本番前、舞台の袖にいた時は「声を押さない。張り上げない。口の開閉。音を位置で感じる。隣の人の声を聴く・・・」などなど呪文のように自分に言い聞かせていた。でも、第1部が終わった。何だか嬉しさが湧いてきた。

<ドレス着替え>
 舞台裏体験。一つ緊張がほどけ、また次の緊張がヒタヒタとやってくる。短い時間の不思議な空間。

<「紅花抄」>
 高橋先生の味わいのある、ゆったりした朗読は、紅花の歩んだ遠い道のりと、貧しく、せつない娘たちの物語を熱く語った。
 私たちは指揮の織田先生と共に歌い、客席はその感動で静まり返った。
 合唱って素晴らしい!みんなの声が、一粒一粒洗練された真珠の輝きのように思えた。
 その一声一声が感動の源流となって、お客様に伝えられ、ホール全体が感動の渦で一体化する。
 その一員として歌っている私自身を思い、嬉しさに言葉がない。

 さあ!ジーンズに着替えて!!
 織田先生もジーンズだ!カッコイイ〜!!また一つ緊張がほどけた。
 ネイサンさんのまろやかな低い歌声「Were You There」が会場いっぱいに響く。
 きっときっと、この歌声は天まで届いているよネ!!

 アンコール2曲「いつも何度でも」「となりのトトロ」。
 客席もステージもみんな一緒に歌った。 拍手!拍手!拍手!

 すばらしい演奏会でした。やっぱり合唱は素敵。もっともっと沢山歌いたい。
 自分の娘と同じステージに立っている母の喜びは、本当に感慨深いものです。
 コルス・フローレスに入団してよかった。ステージ登場!にはまってしまいました。
 先輩の皆様、今後ともよろしくお願いいたします。ありがとうございました。

関連項目:演奏会の記録(第9回定期演奏会


特別号 2002年春 復刻 コルス・フローレスニュース


・2002年3月 集金係 なかじ(Sop)

 入団して三年目、あまり真面目な団員ではありませんが、毎回、楽しく歌わせていただいております。
 とうとう順番が回ってきてしまいました。暇があったら読んで下さい。

 コルスに入って色々体験する機会に恵まれましたが、その中で印象深いものの1つが、指揮法の講習会です。
 2月24日(日)今年は団員の参加がやや少なめでしたが、参加した人は素晴らしい沢山のお土産をいただいてきました。
 不勉強で、菅野先生がどういう方かほとんど知らないのですが、「団員なら毎年参加するべきです。参加しないと損です。」と、声を大にして言いたい。

 まず、あの風貌とキャラクター、独特ですよね。そして、すごいんです。何が?と申しますと、指揮とコンピューターのような的確で緻密なアドバイスが・・・
 「Sicut cervus」「Ave verum corpus」「海」の3曲が今年の課題でした。
 それぞれの曲のリズム、旋律、ハーモニー、形式、音色、テンポ、ダイナミクス、様式、時代、作者、目的、発音、アーティキュレーションに至るまで全て知り尽くしていて、そのときなにを大事にするべきか、沢山の指示が次々と飛んできます。
 もちろんこちらの手抜きも一発で見破られてしまいます。怖い、怖い。ピーンと緊張感が張り詰めます。(インタビューされたしほこちゃん、どんな気持ちでしたか?)

 そして、指揮。指先の数センチの動きとカクッと視線で、全てを指示。ほとんど無駄な動きがありません。
 それなのになぜかとっても歌いやすいんです。なぜ? 安定した、必要な指示が出ているからでしょう・・・。
 ピタッと入って、必要な表現をし、またピタッと終わる・・・失礼ですが、指揮者によってより歌いやすい、歌いにくいができてしまうんですね。不思議なくらい・・・。この指揮法で体感できます。

 心地よい緊張感の中、今年も無事に講習会が終了しました。菅野マジック、今年も健在!!!
 参加した皆さん、本当にお疲れ様でした。家についてバッタリ伏せてしまったのは、きっと私だけではないでしょう・・・ !?

関連項目:演奏会の記録(指揮法講習会


・2002年2月 hoko(Sop)

 2月23日土曜日、富岡西小学校で行われる「ふれあいコンサート」に招かれて、児童とPTAのみなさんの前で歌ってきました。
 私は西小の卒業生なので、母校で歌えることがうれしくて、この日をとても楽しみにしていました。小学校の中に入ると、全てが懐かしくて思い出が次々とあふれてきました。

 本番前に音楽室で練習をしたのですが、実は出演が決まったのがとても急だったため、「いつも何度でも」は楽譜を手にしたのが一週間前。 このときの練習で3回目。
 最近よく聴く曲だけれど、歌ってみるとなかなか難しくて、直前なのに間違えるし、出られなくて音楽が止まってしまうし・・・。
 団員みんな「やばい。やばい!」とヒヤヒヤ。

 この日は私たちコルスの出番の前に、PTAの合唱、職員合唱、ユネスコ少年少女合唱団がたくさんの曲を歌われていたので 、子供たちは疲れてしまっているのではないか、と心配でした。
 しかし、1曲目に西小の校歌を今回のために混声4部にして歌い始めると、みんなびっくり、わくわくした顔で聴いてくれています。
 後で聞いた話によると、校歌をこうした形で歌ったのは、私たちが初めてだそうです。やったあ!
 それから3曲、みなさんずっと目を輝かせて聴いてくださいました。
 問題の「いつも何度でも」も、本番が一番よく歌えたかな。無事で良かった。

 プログラムの最後に、会場の全員で「君をのせて」を歌って、幕を閉じました。やっぱり、とてもいい曲ですね。
 それから、体育館の真ん中を通って退場!子供たちのまなざしと暖かい拍手に包まれながら、その場を後にしました。

 合唱をしているといろいろな体験ができるけれど、今回のように母校で歌うことができるなんて、なんて素敵なのでしょう!とっても嬉しい、幸せなことです。
 あの子たちがこのコンサートを「あのときは楽しかったな」と思い返してくれたらいいな。
 そして、大きくなったら何らかの形で母校に戻って、文化や芸術を伝えていけたらいいな・・・と思いました。

関連項目:演奏会の記録(富岡市立西小学校 ふれあいコンサート


・2002年1月 Y(Ten)

「からす川管弦楽団 ニューイヤーコンサート」

 「子どものオーケストラかあ!」と、たかをくくって行った高崎シンフォニーホール。とんでもなかった、本場ウィーンの匂いがプンプン、プロフェッショナルの世界でした。
 20人弱で参加した我々はちょっとやばい立場でした。しかし、我々にはとてもすばらしい、価値ある体験になりました。
 花嫁人形コンクール参加と相まって、コルスのレベルがぐ〜んとアップしたと思います。
 ppのスネアドラムから始まって、我々の声、少し盛り上がったところで、我々と同じ音を子どもたちの弦が合わせる。あれっ?音が違う!弦が高い。いや、私たちが低い。誰もがそう思った。
 ところがさすがコルス、すぐにすっと合わせていった。あー、こんなに高いのかあ。この瞬間にコルスのレベルがひとつ上がったような気がします。

 このコンサートの直後の礼拝堂での練習が、それを物語っていました。
 「アヴェ・ヴェルム・コルプス」が、ピタッとハモるではないか。どの曲をやっても、美しく響き合う。まるで、きれいに掃除されたみたい。
 とっても気持ちのいい練習でした。参加した人は覚えてますよね。

 もうひとつ、私には、このコンサートに参加した価値がありました。
 レスター先生に出会ったことはもちろんですが、オケと合わせてみて、なんと自分の声が貧弱なことか痛感しました。あかぎ国体で、広い敷島陸上競技場で800人の合唱団で歌ったときも思ったことでした。
 のどや口の中で歌ったのでは太刀打ちできない。体全部を響かせないと、トランペットやパーカッションに消されてしまう。レスター先生の要求は高い。
 織田先生にいつも教えていただきながら、不甲斐ないことこの上ない。体のポジションを復習して一生懸命出すが、まるで声が飛んでいかない。どうしたものか。
 そのとき、ふと自分ののどに力が入っていることが異様に感じた。

 それはいつも思っていて、何とか力を抜かないと声は出ないしすぐ疲れるし、もう20年来の悩みでした。それが・・・・・「えいっ、いっそのこと、全部力を抜いちゃえ!」とばかりに、のどをつめずに、横にだらっと引き延ばし、それで声を出してみた。オケ合わせ中に。
 以前なら声にならなかったのに、あれれ、とってもよく響くでないか。疲れないし、のども嗄れない。やったー、ちょっと私もレベルアップ。
 その日からもう、練習が楽しくて楽しくて。本番も、自信を持って歌えました。

 レスター先生はとっても心配だったようです。ライアンの指揮台に立っても、私たちをひとりひとり見て、「大丈夫?」と聞いているような、長い時間が流れました。
 一人一人の顔を見つめてくれました。私は思わず、「大丈夫です」と頭をこっくり、メッセージを送りました。すると、「大丈夫ですね」とばかりに目で合図をして、指揮棒が上がりました。
 あとはもう、感動の1曲。たった1人の2等兵を助けるために7人が犠牲になった、重い重いテーマの、自分の人生を大切に思うことのできる映画のテーマ音楽でした。5月25日もとても楽しみです。

 いつも思いますが、こんなすばらしい体験をさせていただけるのも、織田先生のおかげです。そのすべてに感謝します。
 また、歌っているだけでマネージメントを何もしない私を責めることもなく、仲間に入れてくださっている団長はじめ、団員のみなさんに感謝しつつ、がんばって練習していきたいと強く思うこのごろです。
 ・・・・・少しずつ仕事します。

関連項目:演奏会の記録(第13回富岡ニューイヤーコンサート



ソプラノパート練習中!華の主旋律も地道な音取りから!?

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