練習日誌 2003年
団員による、ステージや練習の体験記です。
ご意見ご感想、共感できた文などありましたら遠慮なく掲示板へどうぞ。


・2003年11月 H,S(Alt) 

 9月から仲間に入れていただきました。
 高校時代から大学時代まで合唱をこよなく愛し、やり続けていましたが、仕事を始めてからなんとなく遠のいてしまっていました。
 しかし、この度コルスに入り、再び合唱ができることを心の奥底から嬉しく思っています!!

 あぁ、やっぱり合唱って楽しいなぁ。

 さて、こんな新人の私が初めてのせていただける舞台が関東コンクールとのこと。なんと恐れ多い…。
 しかも、渡された楽譜をみたら、今まで私がみた合唱譜の中で一番1ページの中の音符の数が多いのではないかと感じるほど、超ウルトラスーパー難しそうな譜面に不安になってしましました。(おらしょ)

 いよいよコンクール当日。
 ちょっとした旅行気分でバスに乗り、あまり緊張感もなかったのに、いざ本番直前となると高校時代のコンクールのことを思い出してしまい、足が震えだしました。そういえばコンクールというものは高校の合唱部以来です。

 課題曲の方は何とか無事に終わり、いよいよ「おらしょ」。
 思いがけない“大大大ハプニング”のことに触れないわけにはいかないでしょうが、まあ終わりよければ全てよし!?ということで。
 次回は気をつけましょう、ネ。

 そんなこんなで始まった私のコルス生活。音程を合わせることってつくづく難しいなあと感じている今日この頃ですが、がんばりたいと思います。
 みなさん、よろしくお願いします。

関連項目:演奏会の記録(平成15年度全日本合唱コンクール


・2003年10月 

合唱コンクール関東大会と群馬県合唱祭の講評です。自分たちの演奏を振り返り、よりよい演奏を目指してまたがんばりましょう。

移川澄也先生
 課:堂々たる歌い方、これもひとつの表現と思います。曲の流れにもっと滑らかさがほしい。歌声も「より喉の開いた音色」が欲しい。今のままでは自然体という感じ。
 自:p〜fの幅のあるのだが、mp,mf辺りがもう一つ気をつけたい。それらの組み合わせによって生まれる構成感もっとキッチリしたい印象。宗教性もより考えたい。

江上孝則先生
 ソプラノ降りてくる音型、ポルタメントが気になります。
 たくさんのしゃべりよく合っていました。
 ユニゾンの跳躍音程!

小畑恒夫先生
 全体にとてもよくまとまった演奏で、能力のあるコーラスだと思います。
 それだけに、何となく表面的に聞こえてしまうのが、非常に残念でした。
 特に自由曲は譜面はもちろんですが、創作の源になったもの、生々しい感動がもっと出てほしいと思いました。

長谷川冴子先生
 課:作品のスタイルをよくつかんでおられ、大きさを感じる佇まいがよかったです。ラテン語の「イ」音がせまい事と、時に音色が変わりすぎる事があります。又、最初の4小節までの調性が決まってほしいです。
 自:アーメンの所(コラール風の部分)が特に説得力がありました。

樋本英一先生
 課:ブレスが浅い。息の道はできていなくはないのですが、息の出所が浅い感じ。そのことによって響きの不揃い、揺れ具合の不揃い等が起きてきます。
 自:土着的な祈りのトーンを出すにも、支えも響きもフルにつかまえられる体からそういったトーンを作りたい。6のppは?。7からは発音がマルカートでない。これらの細かい音符はかくれキリシタンの抑圧されながらも土着するまでになった信仰のエネルギーを表すと思うのですが、そのエネルギーが伝わらない。

伊藤博先生
 人数の割に重厚な表現も可能とみました。軽め全盛の世相の中で私は貴重だと思い評価します。
 しかし本当はみなさんのシュッツを楽しみにしていただけに残念です。コンクールは如何でしたか?

高嶋みどり先生
 実力派の合唱団だけあって最後の美しい女声のフレーズから始まるユニゾンに集約すべく緊張度の高い演奏だと思いました!
 中味の濃い演奏でした。

関連項目:演奏会の記録(平成15年度全日本合唱コンクール第47回群馬県合唱祭


・2003年9月 yokoko(Alt)

 よろしくお願いします。
 コルスに入団し、2ヶ月経ちました。
 この素晴らしいハーモニーの中で歌えることができたことにとても嬉しく思います。

 皆さん一人一人が高いレベルを持っていらっしゃり、それが一つになったときの音楽の自然な流れを聴くたび、いつも心地よい気分になっていました。

 さて、そんな私がいよいよ参加し、練習に行ったら指揮者の真ん前で歌っているではないですか。
 最初は、コンクールに向けて曲が完成していく中、必死についていかなければならない緊張がありましたが、ふと耳を全体に向けてみると、私の体全体に重厚な響きが鳴っているのを感じました。
 けっこう、この位置悪くないな!といい気分になりました。
 濁りのないハーモニーが作れたとき、声が空間に広がっていく感触がとても好きです。
 (偉そうな発言ですみません・・・)

 デビュー戦がコンクール、しかも関東大会出場なんて大きい大会に快く出して頂いて、いい経験ができました。
 個人的には、シュッツのような宗教曲が好きです。
 あの清潔な和音とメロディーをコルスの音楽がどう美しく響かせるか、これからの関東大会に向けての私の楽しみの一つです。

 と言っても、皆さんにいろいろ気を遣って頂いたり、わからないことを親切に教えて頂いたりして、何の力にもなっていませんが、頑張ってついていきたいと思います。
 至らない点がたくさんあるかと思いますが、頑張りますので、どうぞよろしくお願いいたします。


・2003年8月 バスでーす(Bass)

コンクールについて

 「音楽」というものは、本当は得点化したり、相対評価したりするものではないと思うのですが、その音楽(演奏)に価値づけや順位づけをする「コンクール」があります。
 そして、実に大きな影響力や話題性を持っています。

 世界的なレベルのショパンコンクールやチャイコフスキーコンクールなどをはじめとして、たくさんの有名無名なコンクールがあり、それは才能ある人たちにとっては登竜門であり、若い人たちにとっては大いなる目的だったりします。

 よくコンクール是非論が聞かれます。時に教育的配慮論などがいわれたりします。
 しかし、それはあまり意味のないことではないかと思います。
 なぜなら、「大切なのはコンクールをどう活用するか。」ということだと思うからです。

 この夏、コルスフローレスは、久々にコンクールに出場しました。
 全日本合唱コンクール予選としての群馬県大会という点では、3年ぶりの出場です。
 3年前、自由曲に萩原英彦の「光る砂漠」を歌って出場して以来です。

 今回、コンクールに参加した理由は、織田先生の言葉を借りれば、「コンクールを活用して練習することが、合唱団としての成長につながる。」からでした。
 2001年は、定期演奏会を含む種々の演奏活動が8回もあり、2002年から2003年前半にかけては、オーケストラ、県外の混声合唱団、外国人の演奏家を含む多くのソリストとの共演に明け暮れました。
 この2年間のキャリアはまさに充実していましたが、一面、1つの作品としっかり向き合って自分たちの基本的な技術を見直してみる機会はあまりありませんでした。
 団員の中では「確かに以前よりうまくなっているとは思うけれど、これで(このままで)いいのだろうか。」という気持ちがあったと思います。

 「混声合唱のためのオラショ」という技術的にも内容的にも中身の濃い曲を素材に得て、また、ハインリッヒ・シュッツという偉大な作曲家の音楽から学ぶ機会として、コルスにとって「コンクール」は、勉強の場を提供してくれるものだと思います。

 今回、幸いなことに一般Aの部には、2団体が出場しました。
 もう一つの出場団体だった女声合唱団も一人一人は声楽の専門的な勉強をした若い人たちのようでした。
 立派な力のある合唱団だったと思います。実際、昨年の関東コンクールでも群馬県代表として得点を上げていました。

 3人の審査員に、このようにある程度のレベルを持つ団体と比較をしてもらって、そして、一定の評価をいただけたことは、コルスにとっては、自信にもなりますし、これからさらによくなろうという目標も明確に持てました。
 10月には関東大会があります。それこそ、さらに素晴らしい力量の合唱団の中で真価を問うわけです。
 自分たちにとってまさに価値ある機会になるよう、9月からの1ヶ月の練習に取り組みたいと思っています。

 「コンクール」は、ある意味で勝ち負けがはっきりする場といえます。しかし、それだけではコンクールを活用したことにはならないでしょう。
 「コンクール」はそれぞれの参加者の音楽的能力を格段に飛躍させる良い機会です。
 そう考えるとき、「コンクール」に参加する本当の意味が見えてきます。

 K団長が、一生懸命指導してきたN中学校吹奏楽部の生徒たちのコンクールにむけての練習の様子、そして生徒たちの技術的・精神的成長や演奏内容の向上を見ていて、さらに、コンクール本番では持てる力を十分に出し切ったという演奏の様子を聞いて、単純に結果論でない「成長過程」を垣間見ることができました。
 「コンクール」ってやっぱり魅力的だなとあらためて思いました。

関連項目:演奏会の記録(平成15年度全日本合唱コンクール


・2003年4月 hoko(Sop) 

『ロシア演奏旅行記 その二』

 3月27日

 ホテルでの朝食は毎日、ペリメーニという、壺に入った水餃子のようなスープだった。ロシアではポピュラーな食べ物だそうだ。
 ホテルの従業員からは、私たちが日本人か中国人か見分けがつかないらしく、ペリメーニは中国からきた食べ物らしいので、出されたのかもしれない。
 まあおいしいけれど、毎日は飽きる。隣の人はサンドイッチを食べていてうらやましかった。
 メニューを変えてほしくても言葉が通じないので、「朝は壺」、と覚悟を決めた。

 昼食は、有川さん(ジバエドフさんの奥さん)と親しいおばさんの仕事場(演劇やオペラの衣装屋)にお邪魔した。
 おばさんは親切で、ウォッカやブランデー、ご自分で作ったピクルスや豚の脂肪のかたまりの漬け物、キノコの漬け物を振る舞ってくださった。しかしそれらはとてつもなく味が濃い。
 ロシア人は強いお酒を飲んで、肝臓が悪くならないようにと、ビタミンBが豊富な肉の脂肪を食べる。
 また、冬の間野菜がとれないのでピクルスやキノコを保存するため、とてもしょっぱくして食べるのだ。
 さらに、冬は極寒、室内外の寒暖の差も激しい。
 そうして体に負担がかかり、無理をさせているので、ロシア人は短命で、平均寿命が六十歳を割るそうだ。

 この日は世界演劇デーなのだそうで、子供向けの劇を途中まで見た。
 歌ったり踊ったりしていたが、ストーリーはわからなかった。
 会場は、お洒落に着飾った子どもたちで埋め尽くされ、みんな夢中で劇に見入っていた。


 次に、国立ハバロフスク工科大学へ。第一部は父のリサイタル、第二部は大学のオペラサークルの発表会、という演奏会をした。
 まず大学内のホールでリハーサルをしたが、ここでもピアノに驚かされた。
 とにかく古いようで、鍵盤の蓋の木が折れている。鍵盤の表面がボコボコで音が狂っていて、弾いた指が黒くなった。ここでコンサートをするのか・・・。 曲の中の重要な音が特に狂っていて、どうしよう。
 まあ、なんだかんだ言わずに気軽にやろう、ということにした。

 本番は、そんなわけで緊張もせず、無事終わった。
 学生の歌をしばらく聴いた後、私は着替えるために会場を離れた。その間に、学生に声楽を教えている、プロの先生のソロがあり、大感動の素晴らしい歌だったらしい。
 その後、翌日は大学の創立四十五周年記念日だそうで、その一環として、父が表彰された。サインまで頼まれたそうだ。重要なところをすべて見逃し、残念でならなかった。


 会場へ戻って、同い年の男の子とお話しした。
 大学で日本語を勉強しているそうで、結構話せる。わからないときは英語を使った。
 同い年の人と交流がしたかったので、嬉しかった。

 工科大学はピアノもすごかったが、トイレもすごかった。
 延々歩いて案内されたトイレには、便座がなく、便器の下の部分だけが置いてあった。そしてとても清潔とは言えない。
 私はそのときドレスを着ていたので、どうしようかと思ったが、やめるわけにもいかないので、そういうものだと思って利用した。

 バスに乗って、対外友好協会へ。そこには、有川さんが昔、生け花を教えていた生徒たちで作った、「すずらん」というクラブのメンバーがいらっしゃった。
 協会内には、世界各国の民芸品が置いてあった。招かれて、久々の日本茶を飲んだ。
 そこでは二・三曲の予定が、せっかくだからということで、私が伴奏できる十曲全部を演奏。大きな拍手をいただいた。
 歌の後、父と私がいろいろ質問を受けた。日本語を勉強している女の子たちに、直接日本語で「ハバロフスクはどうですか」「専門は何をしていますか」「日本の若い女の子は、普段何をしていますか」等聞かれ、話した。
 皆さん日本が好きらしく、歌も大好評。「ピアノが素晴らしい」、「かわいい」など、びっくりするほどほめられた。
 最後に、秋田大教育学部出身の留学生と父と、私の弾き語りで「赤とんぼ」を歌った。
 これぞ国際交流!すばらしいオーチンハラショー!


 この日はロシアで過ごす最後の夜なので、ジバエードフさんのご自宅へ招待された。
 有川さんとシャーリナさん(コルスと共演したソプラノ歌手)お手製のボルシチ、キャビアがたっぷり乗ったゆで卵、ハム、ソーセージ、チーズが振る舞われて、ウォッカで乾杯!
 ボルシチのおいしさに感激。真っ赤なスープの色は、赤かぶによるそうだ。上に、スメタナという乳製品のクリームをのせる。煮込まれていて、ほんとにおいしかった。
 キャビアゆで卵も、絶妙の塩加減でおいしくて、たくさんいただいた。
 ウォッカは、パインジュースでカクテルにしたらとってもおいしくて、結構飲んだらクーラクラ。父母は、今まで見たことがないくらい酔っぱらっていた。ロシアの家庭料理が食べられて嬉しい!

 ジバエードフさんは、24日のホテルパルスでの、私たちのために演奏してくださったカルテットが気に入られたそうで、仕事が入って後から一緒になった。
 みんなお酒がまわりご機嫌になって、ジバエドフさんがギターを出してきて父とデュエット。トロイカ、カリンカなど、大盛り上がりで本当に楽しかった。
 ジバエドフさんと父で肩を揉み合ったり、有川さんと母で「音楽家の妻は大変だ」という話で花が咲いたり。
 最後にデザートで、「カリンカ」の元になった小さな赤い実(カリーナ)に、砂糖をかけていただいた。甘酸っぱい。種がハート形で可愛かった。



 3月28日

 重い体を引きずって起床。カーテンを開けたら、雪がちょっと積もっている。ジバエドフさん一家と、バイオリニストのアンドレイさんが迎えに来てくださった。

 街の教会内を見学。天井が高い。誰かが祝福を受けていた様子だった。十字架上のイエスの横にいる、女の人二人は誰なのだろう?
 以前、移動中にお墓を見つけたとき、ロシア人が信仰する宗教について、質問してみた。
 通訳の方はそのとき、「ロシアの歴史では、たくさんの宗教戦争を重ねてきた。信仰の自由はあるけれど、宗教について話をするのはタブーです。」とおっしゃっていた。
 また、町中でバスに乗っていたとき、車内で宗教の演説をしているおばあさんに出会ったことがあった。異様な雰囲気だった。
 ロシアはとにかく広大な国なので、無数の文化や宗教が共存しているのだろう。お互いに深入りすると、もめ事になったりするようだ。

 次に、ジバエドフさんの職場の交響楽団を見学した。ここのトイレの紙は、新聞紙だった。
 ハバロフスクのオーケストラのリハーサルが少し聴けてよかった。

 最後に、日本人墓地へ。抑留者の慰霊碑があった。日本に帰りたくても帰れなかった大勢の人々に畏敬の念を込め、また、イラク戦争を思い、世界の平和を願って、お祈りをした。

 空港。美術館コンサートで知り合った十四歳の女の子、オルガちゃんが見送りに来てくれた。お話しして、メールアドレスと住所を交換した。お友達ができた、嬉しい。
 お世話になった皆さん、ロシア、さようならダスベダーニャ!


 今回の旅では、ふつうの観光旅行ではできない貴重な体験が、たくさんできた。
 五日間で四回本番という、ぎっしり詰まったスケージュールだったので、じっくり観光はできなかったが、人と人とのふれあい、交流が存分にできた。
 ロシアの人たちは、仕事などでは営業スマイルをしない感じだったけれど、みんな根が優しくて親切、心遣いをしてくださった。
 音楽があると、こんな素晴らしいことができるのだ。私自身は、伴奏に使ってもらえたことで、技術的にも精神的にも大変勉強になった。
 自分の力でこのような経験をするには、まだ到底及ばないけれど、これからもたくさん勉強を重ねて、また是非いろいろな体験がしたい。
 皆さんのお心遣いを受け、無事に旅を終えられ、感謝です。

関連項目:演奏会の記録(アムールの音楽家たち 愛と平和のコンサート


・2003年3月 hoko(Sop) 

『ロシア演奏旅行記 その一』

 私たちのジバエドフさんとの関係は、一昨年五月、合唱団コルス・フローレスの定期演奏会で共演したことから始まった。ジバエドフさんは、深くて大きい、素晴らしいバリトンを聴かせてくださった。
 ジバエドフさんの奥さんは有川さんといい、桐生市出身で十一年前からロシアのハバロフスクで暮らしている。
 ジバエドフさんと有川さんが、私の父に「織田先生、ロシアで日本の歌を歌ってください」とおっしゃるけれど、父は「そんなことができたらいいな」とは思いつつ、なかなか踏ん切りはつかなかった。
 しかし、「いつ来てくれますか」と盛んにせかされて、「じゃあ、行ってみるか!」と、伴奏者である私と父の日程が合った春休みに、ロシアに行ってきた。

 ハバロフスクは、広い広いロシアの東の端(地図上では右下)、人口六十万人の町である。アムール川河畔に拓かれた、極東の中心地。
 日本からの時差はプラス一時間。新潟空港からは一時間四十分くらいで、あっという間だ。


 3月24日

 飛行機の中からロシアの大地を見下ろして、驚いた。「あれ?雪がない。真っ茶色だ。」
 ロシアといえば、とにかく寒いイメージ。私たちが行く頃も、零下十度と聞いていた。
 しかし、この二週間で一気に暖かくなり、雪が解けてしまったそうだ。空港に降りたときは摂氏十度だった。
 次に、周りにいたロシア女性の美しさに驚いた。みんな顔が小さくて目鼻立ちくっきり、細くて足が長くておしゃれ。どうなってるの?と本当にびっくりした。
 だけど、やっぱり日本人は、欧米人に憧れるのだと思った。ひょっとすると中東系の美人を見ても、そこまできれいだとは思わないのじゃないかな・・・。

 町の中を通って感じたのは、全体的に広い。そして建物が大きい。
 道沿いにある太いパイプは、熱湯が流れているのだそうだ。一カ所で暖めてすべての建物に送り、それが全館一斉の暖房になる。
 外が零下三十度でも、零下五度でも同じ暖房らしいので、私たちが訪れたときは暖かかったから、室内は夜も二十五度くらいで暑かった。
 寒い用の服しか持っていかなかった母は、「こんなはずではなかった」と言いながら、毎日同じ服を着ていた。


 夕食は、旧迎賓館を使用したというホテルの、今年二月に小泉首相が会談したという部屋で、ロシア料理のコースを食べた。
 まずは、ウォッカで乾杯!ロシアではお酒は男性が注ぐものらしい。キュッと一口で飲み干すのがやり方だそうだが、私には無理だった。アルコール四十度の熱さが、体を温めて良いのだそうだ。父母は大変気に入った様子。
 料理はクセが無く、とてもおいしかった。この食事では、せっかくだからと、バラライカ(ロシア式マンドリン)奏者とギター奏者を招待し、生演奏を聴いた。
 また、ジバエドフさんとその友達、交響楽団ヴァイオリニスト(旅行中運転手をしてくださった)も一緒に食事をし、四人の即興カルテットでロシア民謡を聴くことができた。
 私も合唱でロシア民謡を歌っているけれど、全然違う。真のロシアの血、民族の音楽。広くて深い、優雅で熱い。本当におもしろくてわくわくして感動した。

 ロシアでは、日本の音楽はほとんど知られていないらしい。日本歌曲の演奏会は貴重だと言われて、普及するためにやる気が湧いてきた。私にとって初めての大役で、演奏する緊張感でいっぱいだったのが、楽しみになってきた! 



 3月25日

 私たちが泊まったホテルは、外国人はあまり訪れず、地元の人が泊まるようなホテルだった。
 そこで困ったのが言葉。日本語が通じないのはわかるが、英語の単語さえ通じない。私たちが何を言ってもロシア語で返ってくる。
 私が覚えたロシア語は、こんにちは(ズドゥラーストゥブイチェ)・さようなら(ダスベダーニャ)・ありがとう(スパスィーバ)・すばらしい(ハラショー)だけなので、本当に身振り手振りしかできず、困った。
 次に困ったのが、水である。水道水は茶色く、とても臭い。飲めないのでミネラルウォーターを買ったが、炭酸が入っていて、慣れていないためまずい。
 蛇口をひねればそのまま飲み水が出てくる日本は、とても裕福なのだとつくづく思った。

 午前中、父がロシア人のピアニスト、エレーナさん(ブードニコフさんの奥さん)とリハーサルをしている間、母と私と叔母は市内観光をした。
 まずはアムール川へ。ものすごく広く、対岸が見えない。島のように見えるのは、中州だそうだ。遠くにうっすら見える山は、中国だと聞いてびっくり。大陸の広大さを感じた。
 次に博物館へ。ロシアにいる動物の剥製、昔のロシア人や、今もいる少数民族の服や写真、生活様式が見られ、おもしろかった。
 昼食は、地元の人たちが食べている、簡単なレストランにて。

 夕方から「在ハバロフスク日本総領事公邸」で行われた交流会で、数曲演奏した。
 早めについてリハーサルをしたが(実は入館してはいけなかったらしく、怒られた。)、ピアノに触ってびっくり。音がとんでもなく狂っている。これではまともな演奏ができない。
 ここはロシアだが、総領事館の中は日本なのだから、このピアノは日本の恥だ!と父はカンカン。

 しかし、それでもやるしかない、と本番を迎えた。緊張しているけれど、落ち着いて弾けている。
 もう少しで一曲目が終わる、というその時、突然アップライトピアノの鍵盤の下の板がはずれ、倒れてきて私の膝に当たって止まった。

 こんなこと初めてで、一瞬何が起きたのかわからなかったが、演奏に影響がなくてよかった。・・ドリフかよ!・・・演奏の後は、総領事さんやハバロフスク対外友好協会会長、大学の日本語教師らと立食パーティーでご馳走になった。



 3月26日

 午前中は、観光。移動中に村があった。そこに住む人々は、一軒につき六百uの畑を与えられ、その畑で作った物を売って生活しているそうだ。しかし一年の半分は寒くて作れないので、休んでいる。
 小さな家には暖房が届かないので、今もペチカで暖めているらしく、煙突から煙が出ていた。

 昨日とは違う場所のアムール川に行き、水量が多いときは川底に沈むという砂の上を歩いた。別行動した父は、凍っているアムール川の上を歩いたらしい。
 次に、バザール(中央市場)に行った。外の屋台は生活用品や野菜、果物を量り売りしている。屋内は肉、魚が中心で、活気があった。

 午後、夕方リサイタルを行う美術館でゲネプロをした後、そこにある展示品を少し鑑賞した。イコン(聖像画)、レーピンの作品、ヨーロッパの古典絵画などを見た。
 今回の演奏旅行のメインであったこのリサイタルは、大盛況だった。大拍手と「ブラボー」のなか、存分に日本歌曲を披露できた。


 昨日とは違う場所のアムール川に行き、水量が多いときは川底に沈むという砂の上を歩いた。別行動した父は、凍っているアムール川の上を歩いたらしい。
 次に、バザール(中央市場)に行った。外の屋台は生活用品や野菜、果物を量り売りしている。屋内は肉、魚が中心で、活気があった。
 午後、夕方リサイタルを行う美術館でゲネプロをした後、そこにある展示品を少し鑑賞した。イコン(聖像画)、レーピンの作品、ヨーロッパの古典絵画などを見た。
 今回の演奏旅行のメインであったこのリサイタルは、大盛況だった。大拍手と「ブラボー」のなか、存分に日本歌曲を披露できた。

 終了後、部屋の外で立食パーティー。念願のピロシキが美味しかった。みんなごきげんで、会話も盛り上がり、とっても楽しかった。
 スズランの形の電灯で照らされる町中を、片言の英語と日本語で話しながら、笑いながら歩いた。音楽があると、世界中どこでも誰とでも交流ができる!すばらしい!


 −つづく−

・2003年2月 九郎(Bass) 

『上質を知る人』
 去る2003年2月16日,安中高校音楽室で指揮法講習会が行われました。
 以下,不肖私九郎が練習日記をつけさせていただきます。
 全体は大きく【現場の状況報告】【個人的な感想】との2つに分けて構成しています。

※注記;練習の記録は録音して正確にテープ起こしをして書いたものではなく,あくまで私の記憶に頼って書いた再話なので,あるいは事実と異なる記述があるかも知れません。記述はできるだけ客観的な視点を心がけましたが,どうしても私個人の主観が入り混じってしまったところもあります。どうぞご容赦ください。

時間:午後1時〜4時頃
会場:安中高等学校 音楽室(4F)
演奏形態:合唱(ア・カペラ及びピアノ付)合唱団は20人程。
ピアノ:近藤陽子先生,合唱:コルス・フローレス
講師:菅野浩和先生
形式:織田先生の他に受講された先生は3人でしたので,3人が3曲をローテーションで全て振るというもの。各曲とも受講生1人あたりの持ち時間は10〜15分ほど。はじめに織田先生が通しで1回曲を指揮し,続いて各受講生の先生方が指揮をするという方式であった。

曲目
1.“REGINA CAELI”  作曲:Cristobal Morales 
2.“Lerchengesang”(ひばりの歌) 作曲:F.Mendelssohn
3.混声合唱組曲『心の四季』より“みずすまし”  作詩:吉野弘/作曲:高田三郎

1.“REGINA CAELI”
 レッスンは織田先生−N先生−Y先生−T先生の順に行なわれました。
 おもにN先生は音程を中心に下がり気味にならないよう指示,Y先生はスペインの青い空をイメージし発声をもっと軽くするよう指示,T先生は2つ振りでの指揮(そのためテンポは少し速めになった)言葉をもっと意識して歌うことを指示。


<菅野先生のアドバイスと実演>

−演奏前
 「このような曲では声の軽さは最も大事なことの一つですね。」
 「この楽譜(その時使用した楽譜)に書かれている強弱記号,伴奏譜,小節線,拍子記号などは後の時代になって付け足されたものです。したがってそこには何の根拠もない。
 この曲は2拍子でも4拍子でもありません。こういう曲を演奏する際に我々はそのような概念から離れなければなりません。例えば36小節bassのorapronobisは譜面上は裏拍から出るように見えますが,これはれっきとした頭拍です。指揮をする際にはそこをはっきりと示さなくてはなりません。」

 「(歌詞の意味について)portareは聖母マリアがキリストを宿すこと,それによってキリストがこの世界にもたらされた。
 しかし30年の後に悲劇(十字架)にあいました,そしてresurrexitすなわち「よみがえったこと」によってはじめて全人類の救いとなったのです。したがってそのように表現しなければなりません。
 また,その次にくるorapronobisからは誰のことでもない他ならぬ「我々の願い」を意味しているのですから,より内面的に表現して行かなければなりません。」

−演奏しながら
 「この曲はグレゴリオ聖歌の旋律に基づいて作られたもので,その主旋律の多くはアルトにあります。したがって最も重要なパートはアルト,次いでソプラノです。
 だからテナー,ベースはあくまで対旋律です。それをどうしてそんなに頑張る必要があるのですか? 頑張りすぎないで下さい。」

 「音の出を「点」で感じることが大切です。最初のreginaという言葉であれば最も大事なのはreの出だしの点です。そこに神経を集中しなければならない。
 同じように最後のalleluiaのiaの音で全員の音が点をつくらなければなりません。」
 (最初と最後の2つの「点」は特に集中的に練習しました)




2.“Lerchengesang”


 レッスンは織田先生−T先生−Y先生−N先生の順に指揮。
 Y先生「今のままでは重い。もっと軽く軽くひばりが空を飛ぶように声も軽く」という指示。同時に強弱についての注文など。
 N先生「ドイツ語の歌詞をリズム読みしてみましょう。その後iの母音で歌ってみましょう。なるべく口先を使って発音を意識して歌ってみてください。」


<菅野先生のアドバイスと実演>

 「この曲の場合はロマン派の作品ですから,強弱,コーダなどの扱いはある程度自由にできます。繰り返しなどがあるところで,強弱をつけて歌うのは効果的ですね。
 それからコーダの扱い方も基本的に自由ですが,曲の規模を考慮した上での選択をしたいですね。あくまでこのような小品ですから,例えばブラームスの交響曲のコーダを演奏するような大げさな解釈はあまり相応しくないですね。小品らしくさらっと演奏するのが良いのではないでしょうか。」




3.“みずすまし”
 レッスンは織田先生−Y先生−T先生−N先生の順に指揮。
各先生とも概ね流して指揮をする。


<菅野先生のアドバイスと実演>

−演奏前
 「まずはじめる前にピアノの方にお願いがあります。前奏は1つ1つをもっと独立して弾いてもらえますか?」
中野先生が前奏を弾く
 「いやそうじゃなくて,1つ1つの音のかたまりが独立して聞こえるように」
再び中野先生が前奏を弾く
 「はい,それでは行きましょう。」

−演奏しながら
 「どうしてそんなにバラバラに出るのですか。『いってきの』は点です。たった一つの音なのです。たった『一滴』だけなのです」

 「なぜ『すいぎん』を強調するのですか。 その必要性がどこにあるのですか。 大切なのは何ですか『みずすまし』でしょう。」
 「実に何でもないことを歌っているのです。何でもなく歌ってください。そんなに大げさな表現をする理由がどこにありますか。」

 「(p.13)『そして』の『し』を何故そんなに強調する。『し』は無声音です。そんなに強調しない!」

 「上段『もぐる』の『る』は何音符ですか。ちゃんと2分音符のばしていますか。のばしてください。」

 「(アルトのsoli)『あれは あんじてきなこと』とはどういうことですか。聴いている人をひきつけない演奏に何の意味がありますか。」
 「『もぐること』は非常に大切なのです。次の場面へのいわば示導動機(ライトモティーフ)なのです。」

 「p.14『ういている』のあとの男声『だが』は今までのことを否定し去る言葉ですね。その鋭さがなければなりません。強さがなければなりません。」
 (男声に向って)「みなさんは『だが』をどう発音しますか? 先が強くて後が弱くありませんか,あなた方のはまるっきり逆です。」
 「(下段)『ぶあつい』はデクレッシェンドが早すぎます。」

 「p.15からは水の上と水の中の表現です。歌詞は水の中のみずすましのことを歌っている,それに対してハミングはとても澄んだ水の上なのです。澄んでいなければならないのです。」
(菅野先生は特にハミングパートに向って指揮をしつづけた)

 「p.17は重要な箇所なのです。『なんとよむのか』で,聴いている人の心に疑問が残るように演奏しなければならない。解けない疑問が残るように。」
 「その直後のピアノも疑問をもって表現しなければならない。疑問を弾いてください。」
 「(ピアニストに向って)疑問!」

 「p.18のPesanteからはppです。そんなに大げさな表現をする必要はない。淡々となんともないように歌ってください。」
 「何故そんなに大げさに歌うのですか!」
(菅野先生は最後まで「もっと音を小さく!」という指示を送りつづけた)

☆☆☆☆☆☆☆☆

「ありがとう!!(ピアニストと笑顔で握手)」
「(ピアニスト・合唱団に対して)ありがとう,キツイことを言ってごめんなさいね。」

終了




【個人的な感想】

 菅野先生の指揮による演奏は,非常に衝撃的なものでした。それはあたかも白黒の絵が一瞬にしてカラーに変わるような強烈なものでした。

 “REGINA CAELI”ではまず各パートのもつ役割をきちんと明示してくれました。
 つまりアルトにグレゴリオ聖歌に基づく主題があり,「他声部とは本質的に異なるもの。したがって他声部はそれを犯してはならないこと。」を簡潔に説明してくれました。
 そのため,それまでバラバラであった合唱団がアルトを中心に1つに集束されて行ったように思います。
 また,言葉(歌詞)の解釈の点でも重要な点をズバリ指摘し,ただその言葉の意味を説明するだけでなくその奥に隠されている思いや願いなどにも言及しました(例えばpoetareなど)。
 こうした1つ1つの働きかけよって私達1人1人の曲に対する認識が変わったのではないかと思います。
 その結果,4つのパートがきれいに交通整理され4つの線として響き,そこに新たな世界が現われました。それは,いままでにあまり経験したことのないような不思議な感覚でした。
 Dazuさんの言葉を借りて言えば「譜面面は単調そうに見えるのに,非常に起伏に富んだ」演奏となりました。

 “みずすまし”ではそれまで単なる「音楽」と思っていたものがそれに止まらず「芸術」になろうとする瞬間を垣間見たような気がしました。
 恥ずかしながらこの曲が,これほどまでに深遠な世界をたたえた曲だとは知りませんでした。
 もちろんいい加減に歌っていたわけではないのですが,どこか他人事のように感じていたのかもしれません。
 しかし,菅野先生の指揮は目から鱗落ちまくり・・・でした。
 演奏する心構えから演奏中に気を付けなければならないことが山のようにあります。かなりの集中力が要りますね。
 しかし,そのようにして演奏されたものは,それまで何気なく歌いとばしていたものとはまったく違ったもののように高度に洗練されていきました。
 それはあたかも「歌」というよりも「祈り」に近いもののように感じられました。

 終了後,菅野先生が織田先生に話していたこと。
 「“みずすまし”はちゃんと演奏すれば(こういう)音楽を全く知らない人でも感動しますよ。」

<さいごに>
 菅野先生の指揮の振りようは大げさなところの無いきわめてシンプルなものでした。
 しかしその中にも合唱団全員が寸分違わずテンポを感じることができるような独特の気配がありました。
 知り合いのある先生が「理想的な指揮者は相撲の行司である」と教えてくれたことがありますが,まさにそのような感じだったと思います。
 しかしシンプルな指揮とは裏腹に,演奏は非常に劇的なものでした。それはあたかも「能」のシテの動きを観ているように思えました。
 そのようにして生み出された音楽は,例えて言うならそれまでモノクロだった絵が一瞬にしてカラーに変わってしまったかのような強烈な印象を与えるものでした。
 不思議ですね。「削ぎ落としてこそ見えてくる美しさ」とでも申しましょうか。
 とにかくメンバーとして演奏していて,すさまじい緊張感を感じると共に実に楽しい限りでした。

「ほんとうのことなら 多くの言葉はいらない
野の草が風にゆれるように 小さなしぐさにも 輝きがある」
  (星野富弘『花に寄せて』 Vしおん)

 今回の講習会で改めて「菅野先生は凄い人だ」と感じました。と同時にこのように人が日本にいるということを知り,とても嬉しく思いました。
 今回演奏したのが他ならぬ「コルス」であることを忘れずに歌っていきたいですね。
 みなさんおつかれさまでした。 (^_^)

関連項目:演奏会の記録(指揮法講習会


・2003年1月 日本基督教団甘楽教会牧師 藤秀彦 (Bass) 

  「契約の虹」   創世記9章 8〜17節

  何故 さかのぼれないか
  何故 低い方へゆくほかはないか
  よどむ淵 くるめく渦のいらだち
  まこと 川は山にこがれ
  きりたつ峰にこがれるいのち
  空の高みにこがれるいのち

    (高野喜久夫「水のいのち」より)


 私たちはいつもこうでありたいという希望と、その一方で思い通りにはならない現実との間で揺れ動いて生きています。様々に願いやあこがれを持って生きてゆきますが、一度流れ出した動きを止めることは難しいものです。
 しかしさまざまな思いわずらいを持ちながらも地上の生涯を終えたとき、それがいかなる激流の中にあって疲れ果てた歩みであっても、神様は私たちの生きてきた流れを覚えてくださり、ご自分の所へと安らぎのうちに招き入れてくださるのです。

 地上に悪がはびこり、人々が悪いことを思い図っているのをごらんになって、神様は心を痛められました。
 そこで神様はノアに、箱舟を造って動物をつがいで載せるように命じられました。
 40日間雨が降り続き、水は150日間勢いを保ち続けました。

 水が引いた後、ノアの一家は舟を降りて祭壇を造り、捧げ物をすると、神さまはノアと契約を立てられます。
 それはもう二度と一方的に全ての生き物を滅ぼさない、という約束でした。私たちの側にいっさい条件を付けられなかったのです。
 たとえ私たちが不法な振る舞いをしたり、神さまに背を向けて横暴に生きても、神様はこの世界を存続させ、全てのいのちを滅ぼすことはないと約束されます。
 全ての生きるものを守るという決心をされたのです。いつまでも私たちの神さまでいてくださると、約束してくださったのです。

 神様はさらに契約の徴を示されました。それは空に置かれた虹でした。
 この虹が空にかかるとき、神様は契約を思い起こすと言われたのです。

 虹は旧約聖書が書かれたへブル語では「弓」という意味をもっています。古代イスラエル人は、虹を弓、そして雷の稲妻を矢に見立てたのでした。
 神様は滅ぼすための道具である弓を空にかけて、これはもう使わないと決心されたのです。
 ちなみに英語でも虹を表す言葉「レインボー」も、「雨の弓」を表すのだそうです。

 空を見上げてみる虹は、私たちは神さまが私たちと関わり続け、ゆるし、新しいいのちを与えて私たちが地上に生きることを喜んでくださっているしるしなのです。
 私たちが自分の人生をなかなか思い通りに生きられないとしても、空にかかる虹を見るとき、神様の恵みを思い起こすことができると聖書は語るのです。

 (甘楽教会「教会だより2002年11月号」より転載)



発声練習です。甘楽幼稚園ホールにて。

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