岡谷合唱団&コルス・フローレス ジョイントコンサート
「姉妹都市を結ぶコンサート」 プログラムノート


第1部 コルス・フローレス

林 光編曲「日本抒情曲集」

 林光(はやし ひかる、1931− )氏は現在、合唱だけではなく現代音楽の分野で、作曲家としてもピアニストとしても、また批評家としても活躍しています。
 この「日本抒情曲集」は、滝廉太郎、山田耕筰にはじまる近代歌曲の歴史のなかで、人々に愛唱されている名曲を林光氏が選び、合唱曲にしたものです。
 1964年から1975年にかけて、東京混声合唱団の求めに応じて書かれたもので、小沢征爾、岩城宏之、田中信昭氏らによって初演されました。
 以後、これを演奏会で取り上げる合唱団は多く、現在でも頻繁に演奏されています。

 今回は、林光編曲「日本抒情曲集」の中から山田耕筰により作曲された曲をとりあげてみました。
 「この道」「待ちぼうけ」「ペチカ」「かやの木山の」「曼珠沙華」は山田耕筰・作曲、北原白秋・作詞。
 「中国地方の子守歌」はもともと日本古謡でこれに山田耕筰が手を加えて作り上げた曲です。

・「この道」:4番まである各詩の中で「ああ そうだよ」は感動の中心。
・「待ちぼうけ」:切り株にぶつかって死んでいる兎を見て、「タダで獲物が取れるなら寝て待っていよう」
という農夫。しかし獲物はとれない。そうしているうちに農地は荒れてしまった。
・「中国地方の子守歌」:山田耕筰の前で弟子が故郷の子守歌を披露した。これがこの曲誕生のきっかけ。
・「ペチカ」:ペチカとはロシア式暖炉のこと。ペチカの周りに家族が集まり楽しそうな様子が目に浮かぶ。
・「かやの木山の」:白秋が小田原市内で住んでいた寺にある榧の木がモデルで、この木はまだ健在。
・「曼珠沙華」:白昼夢のような幻想の中に、子を亡くし発狂した母親がヒガンバナを摘みに・・・。



第2部 岡谷合唱団 

アントニオ・サリエリ 「ミサ曲第1番(ニ長調)」

○アントニオ・サリエリ (Antonio Salieri 1750/8/18 Legnagno生、1825/5/7Vienna没。)

 イタリア生まれ。13歳上の兄にヴァイオリンとチェンバロを習った。
 1766年、ヴェニスを訪れていたウィーン宮廷楽長ガスマンと出会った。
 ガスマンは16歳のサリエリの才能に驚き、ウィーンに連れて帰り、作曲を教えた。
 1774年ガスマンの死後、宮廷作曲家になり、宮廷歌劇場の楽長も務めた。
 1788年に宮廷楽長になり、1824年までその地位にあった。

 サリエリはモーツァルト殺害の容疑者とされているが、全くの濡れ衣である。
 むしろ早くからモーツアルトの才能を見抜きあらゆる機会を通して彼の曲を演奏している。
 モーツァルトのライバルあるいは妨害者としてのみ有名であるが、二人はドラマなどで描かれるような不倶戴天の敵同士ではなかった。
 サリエリはその当時モーツァルトの才能を認めていた数少ない人物の一人だったし、打ち解けた仲だったようである。
 1791年12月6日、聖シュテファン大聖堂でモーツァルトの葬儀が行われたとき、サリエリは友人として参列している。
 1804年頃、ほとんど作曲をやめ、教師としての道を選んだ。彼が教えた人物として、ベートーヴェン、シューベルト、リスト、チェルニーなどの作曲家がいる。

○ミサ曲について
 カトリック教会における最も重要な典礼であるミサのための音楽。
 ただし一般に「ミサ曲」といった場合、通常式文とよばれる部分のみをひとまとめにして作曲した組曲風な楽曲をさすのが普通である。
 通常式文は5つの部分を持ち、それぞれキリエ(憐れみの賛歌)、グローリア(栄光の賛歌)、クレド(信仰宣言)、サンクトゥス(感謝の賛歌)、アニュス・デイ(平和の賛歌)の名が付いている。


第3部 合同合唱 「水のいのち」

水のいのち(田三郎 作曲 ・ 野喜久雄 作詞)

 「水のいのち」は日本合唱史上最大のベストセラーといわれています。
 混声用楽譜は2001年発行のもので1965年の第1刷から数えてなんと通算96刷目にあたるということです。
 これに女声版・男声版を加えるといったいどれだけの版を重ねているのでしょうか。

 一昨年86歳で亡くなった高田三郎は合唱曲の作曲家というイメージが強いのですが、東京音楽学校作曲科の出身で、当初はオーケストラの指揮者としてデビューしており、作曲家としても管弦楽曲や室内楽曲が中心で、一部声楽曲を書いている程度でした。
 高田三郎は敬虔なクリスチャンであり、日本の作曲家としては珍しく多くの教会音楽を残していますが、カトリック教会の委嘱で日本語による典礼聖歌集を作曲しています。「水のいのち」に代表される合唱曲も、彼の精神世界を反映していることはいうまでもありません。
 高田三郎は高野喜久雄の詩と出会ったことによって「水のいのち」を書くわけですが、この詩の解釈について著書の中でこのように語っています。

 この「水のいのち」を、これらの楽章の配列から、「水の一生」と考える人が多いようである。
 英訳すれば" The Life of Water"である。
 しかし私は、この題のほんとうの訳は"The Soul of Water"と思っている。
 "Soul"すなわち「魂」とは、「それがあれば生きているが、それを失えば死んでしまうもの」なのである。
 そして、水の「魂」とは、低い方へ流れていく性質のことではなくて、反対に「水たまり」は「空を映そうとし」、「川」は「空にこがれるいのち」なのであって、それはまた私たちの「いのち」でもあり、この組曲の主題でもあるのだ。


岡谷合唱団 プロフィール
 1953年6月創立、来年50周年を迎える。
 常任指揮者渡辺功氏のもと全日本合唱コンクール全国大会11回出場するなど長野県合唱界の創生期のリーダーとして様々な活動を図る。
 1982年常任指揮者に関屋晋氏を迎え新たな展開を図り、長野県民文化会館ウィーン楽友協会姉妹提携に訪欧演奏、世界合唱祭、サイトウ・キネン・フェスティバル出演、県内外の合唱団とのジョイントコンサートなどを積極的に行ってきた。
 近年の少人数化に伴い一人一人が歌える合唱団を目指しヴォイストレーナー久米聖一氏を迎え、さらなる充実を図っている。


指揮者     佐原 武
 1961年、岡谷合唱団入団、以後パートリーダー、技術部長を歴任。
 1981年、関屋晋氏を常任指揮者に招くと同時に団内指揮者となる。
 1989年、岡谷市文化会館カノラホール開館記念『第九特別演奏会』の合唱指揮を勤めたことをきっかけに、渡辺暁雄追悼演奏会『フォーレ・レクイエム』、第1回カノラ芸術祭『第九演奏会』、第2回『メサイア』演奏会、第3回オペラ『御柱』、第4回『イルフ特別コンサート』の合唱指導をつとめた。
 また、サイトウ・キネン・フェスティバルの特別企画『1000人の大合唱』で合唱指導者の一人として毎年指導にあたっている。
 現在、岡谷合唱団指揮者、コーラスみずべ指揮者、塩尻市民合唱団指揮者、カノラ芸術祭技術担当実行委員、南信合唱連盟副理事長、長野県合唱連盟常任理事を務める。団歴41年目。
 
ピアニスト   林 聖子 
 新潟大学教育学部特別教科教員養成課程音楽科ピアノ専攻卒。ピアノを米原尚氏に師事。
 小学校で教鞭をとる傍ら、地域の音楽活動に積極的に参加、カノラ芸術祭の技術スタッフとして、カノラのオペラ公演『御柱』練習ピアニストの一人として活躍した。
 平成9年より岡谷合唱団のピアニストとして活躍中。
 また平成10年より、カノラ少年少女合唱団の指導スタッフの一員に抜擢された。今後の活躍が期待されている。


岡谷合唱団HPへのリンクはこちら。



関屋 晋  プロフィール
 東京生まれ、早稲田大学政治経済学部卒業。
 早稲田大学在学中より合唱指導を始める。
 現在、松原混声合唱団、湘南市民コールを始めとするアマチュアの十余合唱団の常任指揮者を務める。
 また、傘下の合唱団の集合体「晋友会合唱団」を率いてコーラスマスターとしても活躍。国内外のオーケストラの演奏会に出演、絶賛を浴びている。特に共演を重ねる小澤征爾の信頼もあつい。
 長野県松本市で行われるサイトウ・キネン・フェスティバルでは、オペラ「エディプス王」「火刑台上のジャンヌダルク」、ヴェルディ「レクイエム」の合唱を晋友会が担当、最近では「1000人の合唱」のコーラスマスターとして指導に当たっている。
 晋友会演奏によるCD各種、著書に「コーラスは楽しい」(岩波新書)、1994年に藍綬褒章、2002年に勲五等旭日小綬章を受章。全日本合唱連盟顧問、日本合唱指揮者協会副会長。


高田先生の思い出  関屋 晋


 高田先生とはそんなに数多くお話したことはないのだが,少ないからこそ,その一つ一つをよく覚えている。
 その一つは,笹川賞合唱作品というのがあって,5人位の作曲家の方が選んだ幾つか作品を歌ってみて,賞を決めていたのだが,その歌う合唱団を私の合唱団がやることになった。
 その審査員の中に高田先生もいらしたので,私達は若干緊張して審査会場に入って行ったのを覚えている。 

 演奏が順調に終わったとき,高田先生が私達に「有り難う,君達の演奏が良かったので作品がよく分かったよ」と言って下さったので,いきなり私達の緊張は解けた。
 その第1回受賞作品は新実徳英さんの「花」で,これが縁で「幼年連祷」が生まれ,新実さんは私達にとって忘れられない存在になった。 

 その後だったと思うのだが,野球の話しになって,高田先生が野球をやっているというお話しにはびっくりした。しかもピッチャーだというお話しで,かなり細かい事までご存じで,小学校時代に夢中になっただけの私とは桁違いだった。只一つ一緒だったのはプロ野球の贔屓は「巨人軍」だったので嬉しかった。 

 NHKの音楽コンクール高校の部で高田先生の「冬・風連湖」が課題曲になったとき,私の合唱団がモデルになって歌うことになったのだが,先生のご指導は厳しいということだったし,テレビもあって心配だったが,練習を始められたら,先生が「お待ち〜」とか歌舞伎役者のような語調で言われたので,楽しくなったことは忘れられない。 

今日も,そんなことを思い出しながら「水のいのち」を高田先生にお届け出来たらいいなと思っている。

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