合唱団コルス・フローレス
第10回定期演奏会 プログラムノート


第1部 モーツァルト

 Ave Verum Corpus (めでたしまことの御体) K.618

 「アヴェ・ヴェルム・コルプス」は、バーデンの合唱指揮者アントン・シュトルの求めに応じて御聖体の祝日のミサのために作曲された小品です。
 バーデンはウィーンの郊外で、当時モーツァルトの妻コンスタンツェが療養中でした。シュトルが彼女に親切にしてくれたこともあり、そのお礼という極めて平凡な動機により作られた曲ですが、その天使的な美しさと、モーツァルトの静かで深い想いが感じられ、あまりに有名な曲となりました。
 「モーツァルトはこの作品をもって、彼の考える教会音楽の新しい様式を確立した」とまで言う人もいます。

 1791年、モーツァルトは天に召されました。この年、モーツァルトは2つの教会音楽を作曲しています。それが、あの有名なレクイエムと、このアヴェ・ヴェルム・コルプスです。
 このモテットは全部でわずか46小節ですが、モーツァルトの晩年(35才)の境地を伝え、広く愛されています。


 Vesperae solennes de confessore (証聖者の盛儀晩課) K.339

 ローマカトリック教会の聖職者達は、毎日数回、きめられた時間ごとに礼拝を行います。朝の祈り・晩の祈りなどです。
 毎日行われる祈りですので、ふだんは簡単なグレゴリア聖歌が歌われてますが、例えば、古くから宣教などに非常な貢献をした人物をローマの教皇庁は聖人と認定し、それぞれに祝日を定めているので、こうした特別な日には、より構成の大きい曲が演奏されました。
 また、日没後に捧げる晩の祈りはヴェスペレといい、特に重要な祈りでしたので、音楽家たちも特別な日の晩の祈りのための音楽には力を入れたようです。ですから、この曲名は「聖人の祝日の晩の祈り」という意味です。
 この曲が作曲されたのは1780年。モーツァルトが24才の時です。ザルツブルク大聖堂での、ある聖人の祝日の祈りのために書かれたものでしょう。

 晩の祈りで歌われるテキストは決まっています。5つの詩編:「Dixit Dominus(主は言われる)/詩編110 ダビデの歌より」、「Confitebor (主をほめまつる)/詩編111」、「Beatus Vir(幸いなるかな)/詩編112」、「Laudate pueri(ほめたたえよ、しもべ達よ)/詩編113」、「Laudate dominum(主を褒めたたえよ)/詩編117」に「Magnificat(マニフィカト)/聖母賛歌(我が心は主をあがめ)」を加えた合計6つの楽曲から構成されています。

 この曲は、全曲にオーケストラを付け、当時の演奏スタイルとしては大規模なものになっています。ですから、典礼音楽の面よりもモーツァルト自身の芸術家としての欲求を満たすものとして作られたようです。

 オーケストラの構成はトランペット2、トロンボーン3、ファゴット1、ティンパニ、ヴァイオリン2部と低弦というやや変則的な編成ですが、これは当時のザルツブルグのオーケストラの制約によるものだったようです。
 この時代は、モーツァルトのザルツブルグ時代の最後期で、モーツァルトは竪苦しいザルツブルグのコロレド大司教のもとでの音楽生活にいいかげんうんざりしていたらしく、この後まもなく、ウィーンで独立の道を歩むことになります。

 モーツァルトはこうした制約に縛られながらも、それを見事に自分のものとして消化し、さらに新しい音楽世界の可能性を見出しています。

指揮 Ernst Lester(エルンスト・レスター)
 3才からヘルタ・シュウナイダーハン、ヘルタ・ビンダーにヴァイオリンを師事。
 6才でウイーン国立音楽大学準備課程コース入学。
 12才でウイーン・ジュニア・フィル・コンサートマスター。
 1990年モーリス・ラヴェル・オーケストラコンサートマスター。
 現在もウイーンフィルコンサートマスターのライナー・キュッヘル氏に師事。
ソプラノ 大塚亜希子
 東京音楽大学卒業、同大学院修了。二期会オペラマスタークラス終了。
 中沢桂、滝沢三恵子、三浦洋一、織田修一各氏に師事。
 日本歌曲を中心に、イタリアオペラ、歌曲などを得意とする。
 岩城宏之氏から「豊かな声量と深い表現を持ち合わせた逸材」との高い評価を受けた。
アルト 坂口桐子
 東京芸術大学声楽科卒業。ペルージャ外国人大学音楽コース修了。
 パオロ・ペルーナ、ロベルト・モントーリ氏らに師事。
 帰国後もオペラ、オラトリオ、歌曲と多方面にわたって活躍中。
 藤原歌劇団準団員。第1回モーツァルトコンテスト審査員賞受賞。
 カペラ・システィーナ他、多数の合唱団と共演している。
テノール 大島 博
 東京芸術大学卒業。同大学院修了。
 渡辺高之助、高丈二、原田茂生、中山悌一各氏に師事。
 エルンスト・ヘフリガー、フィッシャー=ディースカウ氏にも師事。
 各地で、ドイツリート及び日本歌曲のリサイタルを開催。
 宗教音楽の分野でもバッハを中心に幅広いレパートリーをもつ。
 富岡第9を歌う会の合唱指導者でもある。
 日本女子大学講師。
からす川音楽集団・フィルハーモニー・オーケストラ
 吹奏楽を中心にしながら、合唱団、鑑賞部等の総合的な音楽集団として、高崎市を中心に国際的な活躍を続ける「からす川音楽集団」の管弦楽団。
 定期演奏会の他、県内の各地で演奏活動を行っている。
 今年1月には富岡市文化協会主催のニューイヤーコンサートで好演し、好評を博した。
 指導者は、児玉健一氏、エルンスト・レスター氏である。


第2部 女声合唱組曲「紅花抄」 服部公一作曲 芳賀秀次郎作詩

−北国の花の物語−

 作曲者の服部公一氏(1933〜 )は、山形県生。
 作品は管弦楽曲、声楽曲、ピアノ曲など広範囲に渡っているが、子供のための作品も多く、「アイスクリームのうた」「まーちんぐ・まーち」等の童謡は広く知られています。
 クラシックばかりでなくフュージョン・ジャズを盛り込んで誰にでも親しみやすい音楽を追究する作曲家です。

 服部氏が取り土げた「紅花抄」の作者である芳賀秀次郎氏(1915〜1993)は、山形県白鷹町に住み長年中学校の国語教師を勤めた、詩人でありアララギ派の歌人でもありました。
 太平洋戦争当時は国民歌謡の作詞などもしていたようですが、この「紅花抄」は、故郷山形を代表する紅花を通して、女性の視点で様々な生き方を表現しようとしたものでしょう。
 この詩の想いが、服部氏の心の糸に触れたのだろうと思われます。

 作曲者自身の次のようなコメントを記しています。

 『ナレーション入り女声合唱組曲』は私の故郷への想いの集合であるといえる。
 私を生み育ててくれた女達の血ににじんでいる山形村山地方(山形市周辺)の風土性がこの作品の中には色濃く流れているはずである。
 それを一言で言うなれば貧しさ故の悲しさである。
 今や時代が進み、この種の悲しさは決して顕在とは言えぬが、心にきざまれた風土性は一朝一夕で消えるものではなく、Tシャツにジーパン姿のはつらつとした山形女性にもその心の中にはしっかりとこれが腰をすえているはずだ。
 しかし私はこの種の風土性がこの地方にだけある極めて特殊なものであるとは考えない。
 全地球的に見れば日本全体がこの種のフィーリングを見せているとは言えないだろうか。
 もののあわれもせんじつめれば持たざるが故の悲しさであり、それはまさに世界における日本の個性につながるのだ。
 私は故郷の紅花を描くことによって全日本女性に大なり小なり普遍的に宿っている悲しみを音にしたかったのだといえる。(後略)

 コルス・フローレスにとって、この組曲を取り上げるのは、6年ぶりになります。
 まだ、混声化する以前の女声合唱団だった第5回定期演奏会で歌ったのです。
 いまも記憶に残る「あのときは歌いながら心で泣いた」感動を確かめたいと再演に取り組みました。

朗読 高橋信男
 1948年から群馬県高等学校の国語科の教師として教鞭をとる。
 群馬県立高崎高等学校などに勤務。
 現在、高崎不登校を考え「ひだまりの会」、市民アマチュア劇団「ろしなんて」、高崎平和コンサートの他、スキークラブ、テニスクラブ、古典講座など多彩な趣味とボランティア活動に取り組む。

第3部 黒人霊歌とフォスターの歌曲から

 黒人霊歌は、アメリカ黒人音楽の一番古いジャンルでありますが、ジャズはもとより、ロックやカントリーやヒップホップに至るまでの、今日ある様々な音楽の原点ともいえます。

 18世紀頃、アフリカ黒人たちは奴隷として自分の意思とは関係なくアメリカに連れてこられ、そこでは人間としての権利は与えられず過酷な労働のみ与えられました。
 生き方も選べず、権利も自由も何もなく抑圧されたなかで労働するしかなかった生活の中で生まれた黒人霊歌は彼らの魂の叫びであり、信仰のあかしでもありました。

 黒人霊歌の題材には旧約聖書の物語からとったものが多くあります。それは、黒人奴隷たちがユダヤ人の苦難を自分たちの苦難になぞらえて歌ったからです。
 例えば、出エジプト記のモーゼの話が黒人霊歌にはよく登場しますが、これは民を救い出して脱出させた救世主モーゼに自分たちの希望を託してのことでしょう。

 本日歌う「Deep River」には「my home(故郷)」「campground(集いの地)」へ行きたいと書かれています。
 これは直接はヨルダン川の向こうにあるユダヤ人の故郷、カナンの地を指しますが、彼らの故郷アフリカや、アメリカ北部の意味も込められています。
 奴隷社会の南部から逃れて自由な北部へ行くこと、また、現実から逃れて死んで天国へ行くことを歌っているともいえます。
 「Jordan(ヨルダン川)」「deep River(深い川)」はカナンと自分の間に横たわる川です。
 この大きくて深い川を越えなくては、その彼方にある故郷にはたどり着けない。それはアメリカ南部においては、北部との境にあるミシシッピ川のことなのです。
 ユダヤ人が故郷へ帰ることを阻んだ川と黒人奴隷たちの北部への逃亡を阻む川が重ね合わされています。
 「人生は悲しみに満ちたもの」「死は喜びあふれる解放だ」というモチーフが多い黒人霊歌ですが、単に虐げられた悲しみだけでなく、陽気な歌においても反省があり、悲しみの歌にも希望があるというように人間の感情を深く豊かに表した音楽であるといえましょう。

 スティーブン・コリンズ・フォスターの曲、例えば「ケンタッキーの我が家」や「オールド・ブラック・ジョー」「金髪のジェニー」などは、誰でも耳にし、口にしたことのある曲ではないでしょうか。
 フォスターはその37年の短い生涯に約200曲もの作品を残しています。
 しかし、実生活においては、不運や不幸に見舞われ、ニューヨークで亡くなったときにはほとんど無一文であったともいわれ、その人となりもよく伝わっていないところがあります。
 しかし、彼は奴隷制度や被差別社会を憎み、その正義感と、すべてこの世に生を受けたものへの愛情を忘れなかったようです。
 彼の作品が、今も世界中の人々に愛されている所以はそんなところにもあるのではないでしょうか。

ソリスト Nathan Dewitt(ネイサン・デューイット)
 1973年、アメリカ合衆国、オハイオ州生まれ。
 オハイオ大学を卒業後、ALT(英語指導助手)として来日。
 その卓抜な指導力を評価されて、昨年7月から群馬県教育委員会に勤務。
 音楽は趣味だが、ジャズやR&Bをステージで歌う活動もしている。

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